<説教要旨>

「心において悟る」(2/13)

「ほかの種はよい土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった」

(マルコ福音書4章8節)

 イエスの語る「譬え話」は、そのほとんどが「神の国」についてのものです。イエスの語る「神の国」というものは神の愛や赦しの業、神の意志が充満している世界を指して表現されています。
 イエスの宣教活動は「時が満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(1章15節)という宣言をもって始まります。イエスは神の愛が満ちあふれる「神の国」の実現を目指し、ガリラヤ地方で宣教活動を展開していきます。数々の病気を癒す物語があるように、イエスは新しい権威ある者として見られ、人々がイエスのいるところに殺到してくる様子が次々に描かれています。しかし、同時に集まる群衆の中にはイエスの宣教を喜ばない反対者がいることも顕在化してきます。反対者による「イエスの殺害の相談」(3章6節)の記述はイエスの宣教活動の厳しさを示すものとなっています。
 そのような状況下、イエスは再び湖畔で「神の国」ついて教え始めます。もちろん、イエスはここでも「譬え」を用いて「神の国」の秘密を解き明かそうとします。「譬え」とは、一つの文学表現で日常経験に基づいた短い物語・説明のことをいいます。一つの真理を表わし、伝達する方法のことです。しかも、「比喩的な格言」「比較的長い物語」「例話」など、イエスの「譬え」はバラエティーに富んでいます。福音書には「37」の譬え物語が収録されています。今日の聖書個所「種を蒔く人」の譬えもその一つです。
 この譬え物語は、反復可能な日常的な出来事を通して語る形式であり、しかも、「隠喩的な性格」を強くもったものとなっています。譬えそのものは分かりやすい豊かな「農の世界」を描いています。同時に、心ない聴衆者にはその真理が隠されていく内容(12節/イザヤ書6章9~10節の引用)となっています。「譬え」という間接的指示は、分かりやすく「開示される部分」と「隠されていく部分」の2方向を持つものです。その意味で、イエスが語り伝えようとする真理は全ての人が客観的に理解して分かるものではないようです。どうしても「心に悟る」部分が必要であるようです。
 イエスは、「聞く耳のある人」に対して、「種を蒔く人」の譬えを通して「神の国」の豊かさ・成長・実りの大きさを表現します。特に「良い土地に蒔かれた種」は大きな実りの変化を経験させます。そして、その実りは「時間の経過」や「生活の中での歴史性」を持つことを示しています。信仰はまさに「苦難は忍耐を、忍耐は錬達を、練達は希望を生む」(ローマ書5章3~4節)とのパウロの言葉のような「時を待つ」ことが必要なのです。

(説教要旨/菅根記)