<説教要旨>

「新しい存在としての招き」(1/16)

「二人はすぐに網を捨てて従った」

(マルコ福音書1章18節)

 イエスは福音宣教の働きを進めるにあたり弟子たちを招きます。本日の聖書個所はイエスが「最初の弟子たちを招く物語」です。弟子たちの側からすれば「イエスに従う物語」です。このような「召命物語」はマタイ、マルコ、ルカの共観福音書、さらにヨハネ福音書にも随所に見られます。その中でも、マルコ福音書は極めて動的で簡潔に描かれています。招きを受ける弟子たちの思いを考慮せずにイエスの側からその出来事だけが記されています。
 イエスはガリラヤでの宣教活動開始を告げる言葉として「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(15節)と告げます。その直後の出来事として4人の漁師を弟子として招いた物語が続いていきます。いわゆる「弟子の入門」の物語が置かれています。ここでは、「シモン・ペテロとアンデレ兄弟」と、「ヤコブとヨハネの兄弟」が仕事中、イエスより「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう。」(17節)との招きの言葉を投げかけられます。そして、4人はそのイエスの呼びかけに応えて「網を捨てて」従って行きます。そして、彼らがイエスの最初の弟子となります。
 「わたしについて来なさい」とは、招きというよりも「無条件的要求」とも言えます。「従う」と同義語です。しかも、「なぜイエスが弟子たちを招き」、「なぜ弟子たちがイエスに従ったのか」という一切の理由や説明、両者の関わり合いなど記されていません。ただ、「イエスの招き」があり、その言葉に躊躇なく「ただイエスに従う」弟子の姿だけが記されています。そのため、「なぜ4人の最初の弟子たちは、すんなりとイエスに従い得たのか」という疑問が出てくるのです。
 それに反して、ルカ福音書は弟子たちとイエスとの出会い、さらにイエスの招きに応えていく理由を「通時的」に語ります。「豊漁物語」(ルカ福音書5章1~7節参照)を加えてイエスの圧倒的迫りがあったことを伝えています。しかし、マルコ福音書は「招きと服従」という「出来事性」(共時性)を強調します。イエスに従い生きることの「決意の表明」のような色彩をもって物語が綴られています。
 確かに、イエスの招きに応えるには一つの決断がどうしても必要です。決断は自己の全存在を投げ込むことです。それ故に躊躇を覚えるのです。しかし、それでも第一歩が求められます。イエスに従い行く中でこそ、慈しみに溢れたイエスの赦しの深みを知ることができるからです。イエスの招きに応えることは、信仰の豊かな世界を知る大切な一歩であるのです。

(説教要旨/菅根記)