<説教要旨>

「星の光に導かれ」(12/26)

「東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった」

(マタイ福音書2章9節)

 今年最後の主日を迎えました。昨日土曜日はクリスマスでした。12月22日には冬至を迎えこれから段々と日が長くなっていきますが、まだまだ早く沈む日に厳しい寒さの中で真冬の到来を感じます。日が沈むのが早く、昇るのが遅いこの冬至は古来より「死に一番近い日」と言われております。日照時間が短く、厳しい寒さの中で作物は育たず、長く続く暗い夜の闇の中で「死」を強く感じさせられたのだと思います。
 本日の聖書の個所、「東方の学者」の来訪の物語はマタイ福音書によって伝えられる有名なイエス誕生物語の一つです。この物語はイエスの誕生に際して、一つの大きな輝く星が現れ、それに導かれた「占星術の学者たち(1節)」がイエスのもとへと訪れた事が報告されています。この「星」によって「学者」たちが導かれたように、物語も導かれ進められていくのです。そして輝く星が見ることが出来るのは「夜」の事です。そのことからもこの物語が「夜」という時間を中心として進められている事がわかります。暗い闇夜の中で、目印として、また導く存在として、光り輝く「星」が物語の中でも強い印象をもって示されております。
 「夜」や「暗闇」というのは、人に対して「不安」や「恐れ」を思い起こさせるものです。「一寸先は闇」といったことわざにもあらわれるように、「不安」や「恐れ」の比喩表現としても「闇」、暗さというものは用いられます。日の光の届かぬ夜というのはこのように、人が存在を脅かされるような不安にさらされる思いがこの「夜」という時にはあらわされていくのです。そしてそこに強く輝く「星」の導きとは、「闇夜」という「不安」や「恐れ」を取り払うような「希望」を与えてくれる象徴であります。「不安と恐れ」の拡がる「夜」に光り輝き行くみちを指し示す「星」という対照的な二つの存在は、痛みやかなしみ、抑圧が拡がる暗き地上に、それを取り払う希望の光、「キリスト」が誕生されたことを明確に示していくのです。
 イエスを拝みに来た学者たちはそれぞれ「黄金、乳香、没薬(11節)」をイエスにささげました。これらにはそれぞれ意味があると言われております。「黄金」はキリストの「王性」、「乳香」はキリストの「神性」を表します。そして「没薬」は葬りの際に遺体の防腐を目的として用いられる事からキリストの贖いの業を表していると言われております。この「贖いの業」とは十字架による「死」です。この三つの宝は「王」であり「神」であるところのキリストの「死」によって、私たちに大いなる恵み、希望が与えられる事を示しているのです。
 キリストの誕生は喜びの出来事です。しかしこの喜びには、キリストの「痛み」が、「死」があることを忘れてはならないということを思わされます。私たちに真実の生きる道をお示しになるために、誕生と共に「痛み」と「死」という運命を担って地上に遣わされたのです。存在をかけて希望を示されたキリストの痛みと死をも覚え感謝をもって歩んでいきたいと思います。

(説教要旨/髙塚記)